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道は一応アスファルトの片側1車線道路。道の片方には雑木林、もう片方には山の斜面。これが見るからに延々とつづいている。民家はおろか建物らしきものもほぼない。
まったく人情味を感じさせない黒のピックアップトラックが、ときどきものすごいスピードで通り過ぎて行く。
近くに人がいたので、ナヒン村は?と聞くと
あっちだ。4kmくらい先だ、と言う。日はもう沈みかけている。
しかし今まで散々適当なこと言われて、ほんとうに4kmで着くのか。。。ってか4kmっていうのも相当だぞ、おれ腹減りまくってるし、水ももうないし、足もガクガク・・・
よし、ヒッチハイクっきゃない!
と、すぐにやってみた。
が、だーーーれも停まってくれない。減速すらしてくれない。というか車がそもそも少ない。
歩いては手振って、歩いては手振って、しかし振れども振れども、誰も停まってくれない。もう20台くらい通り過ぎて行った・・・。
そしてついに日は暮れてあたりは真っ暗。
街灯もないし、ときどき野犬の遠吠えが聞こえる。さらに絶望的なのが、見たこともない山が目の前にそびえている。暗いので巨大なシルエットがとても不気味。こんなの村からは見えなかった。ということはやっぱりまだまだ先なんだ、絶望だよ。
無意識のうちに軽く走ってみるが、疲れてすぐやめる。一瞬で無理を悟った。喉も乾いた。
ヒッチハイクを続けるがやっぱり誰も停まってくれない・・・。
やっとスクーターに乗った若い兄ちゃんを停めれたけど、英語がまったく通じないし、なけなしの40タイバーツ(120円)を見せて懇願したけど、結局ブーーーンと逃げられてしまった。絶望。
気を紛らわすために独りで冗談を言ってみるも、全然笑えない。
そして、もうダメか、どうなっちまうんだ今夜はぁぁ!!?
と思いかけたそとのき、スクーターに乗った一人のヒゲ坊主の兄ちゃんが停まってくれた!これがほんとに最後のチャンスかもしれないと必死に頼み込むと、乗っていいよと言ってくれた!!!
お兄ちゃん、コォォォォプチャアアアイイ!!!(ラオス語でありがとう)
そして、やっぱりまだまだ遠かったんだね、バイクでブーーーーンと10分以上も走って、なんとかナヒン村に着いた。
おれは兄ちゃんに金を渡そうとするが、要らない要らないと断る兄ちゃん。あんたほんとうに良い人だ、しかしそれじゃああたしの気が済まない!と凄んで、なんとか20バーツ(60円)だけ受け取ってもらった。ほんとは全部もらってほしかった。
降ろしてもらった場所から宿まで約10分、おれはずっと下を向いて歩いた。もう正直ラオス人の顔なんて見たくなかった。
とても酷い目にあったよ、じゃあ誰が悪いんだ、いや誰も悪いわけじゃないんだよ、そんな事はわかってる、でもね、もうラオスはこりごりなんだ、君たちが助けてくれないという事はわかった。助けてもらったんだけどね、でも彼以外はどんだけ俺が困ってても、夜に倒れててもきっと素通りするだろう、俺は本当に心からそう思う。そう感じとったんだ君たちの態度から。でもラオス人はひどくて血も涙もないなんて言わない、ただ助けてはくれないだろう、それだけだ!バカヤロウ!!
宿に戻っておれは宿の女主人とその家族に、簡単な英語とジェスチャーを交えてこの話をダイナミックに聞かせた。
みんな大爆笑していた。
でもさ、笑い事じゃないんだよ・・・。
そして腹がとにかく減っていたので、フライドライスを注文した。とても美味しかった。マジで料理は上手いねオバちゃん。
そしてビールを飲んだ。ビールを飲みながら向かいの壁に這いつくばっている無数のヤモリを見ながら、色々考えた。
今回はこんな目にあったのが俺でよかった。がしかし、もし俺の奥さんに同じ事が起こり、奥さんが泣いたら俺はラオス人を殴り殺す。または焼き殺す。
そしてもしこの話を奥さんにしたら、奥さんもラオス人を殴ってくれると思う。そんくらい今日は酷い目にあったと自分では思っている。そして今もちょっと泣きたい。
なんとかなるよで今まで旅行をしてきたが、今日はなんとかならなかった。
なったよなんとか。でもならなかった。これはなんとかなったとは言わない。
結局なんとかなったとは、こんな時には使わないし使いたくない。
もう二度と、誰にも、俺と同じような目には遭ってほしくない、だから俺はなんとかなったよ、みんなもやってみてねとは絶対に言わない。
頼むから、ラオスでなんとかなるよと思って、軽い気持で公共交通機関を使わないでくれ、頼む!!まず旅行代理店に行ってくれ!!!
っていうか早くこの村を出たいんだけど、どうやったら確実に出られるのか誰か教えてくれ!!!
日記はここまでです。
いかがでしたでしょうか。
私はこの次の日に、朝早くこの村を出て、一目散にタイのナコーンパノムへ帰りました。もう一秒たりともラオスにはいたくなかったのです。
そしてそのときほど、タイって便利だなーーーーーと思ったことはありません。英語も(多少)通じるし、Wi-Fiもいたる所にあるし、公共交通も単純明快です。
今思い返してみて、何が悪かったのかと考えると、辞書を持っていなかった事だと思います。辞書のような物があれば、時間をかけてでも事情を説明し理解してもらえ、お金を借りるなり、電話を借りるなりできたと思います。
しかし本当にここの人たちは英語ができなかった。そして私もタイ語もラオス語も全くできなかった。(2つは非常に似ています)
そしてそんな私の話をまともに聞こうとしてくれた人は、誰もいませんでした。
言葉が通じないというのは恐怖です。
こんな事がありましたが、もちろん今はラオス人が嫌いなんて事はありません。むしろ大好きです。今はタイ語も少し話せるので、2年前にサワンナケートという地方都市に行ったときも、ちゃんとコミュニケーションがとれましたし、色んな人に優しくしてもらいました。
ラオスは本当に良い国です。機会があれば、ぜひ行ってみてください。
ちなみに、さっきふと気になったので、私がバンから降ろされであろうT字路からナヒン村までの距離を調べてみましたが、5kmくらいでした。
無理だから!!!