シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

怖い体験「ラオス/コンロー洞窟」中編

 前編はコチラ 

yangpingsan.hatenablog.com

 

5月1日

ナヒン村からコンロー洞窟までは、ソンテウで約1時間

今朝わたしは宿の女主人に、コンロー洞窟行きのソンテウは何時ですかと聞いたら、午前10時だという。始発のくせにずいぶん遅いなと思いながらもそれに乗った。料金は250円。

わたしの他に現地人が1人と、ニュージーランドからのカップルが2人乗り込んだ。情報が欲しかったので積極的に話しかけてみた。2人はベトナムから来て、今晩はコンロー洞窟のあるコンロー村に一泊して、次の日にビエンチャンに行くらしい。

 

ソンテウは1時間ほどで無事にコンロー洞窟に着いた。

そして降りるときにソンテウの運転手が、またナヒン村に戻るのか?と聞いてきたので、うんそうだよと言ったら、じゃあ2時にまたここで待ってるからと言われて、これで帰りは大丈夫だなと思って少し安心した。

 

コンロー洞窟はとても長い洞窟で、3人乗りのボートをチャーターして中に入っていかなくてはならない。そのカップル、ジョージニコラよかったら一緒にボート相乗りしようと言ってきたので、あたり前田の塗装店と言わんばかりにOK

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一人当たり400円払いボートに乗り込む。

コンロー洞窟は、すごかった。中は真っ暗だが、その中を懐中電灯を照らしながら船頭さんがボートを運転して、ズンズンガンガン進んでいく。

中はとにかく広く、天井がものすごく高く、100mとは言わずも50mくらいあったんじゃないか天井まで。

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とにかくものすごく「のび太の地底王国」みたいになっていて、壮大だった。ボートは往復で3時間かけてまた入り口に戻ってきた。

その時ちょうど午後2時

 

さてどこにソンテウが来てるのかなと思って見回すがまだ来ていない。

すると違うソンテウが来たので、ナヒン村まで乗せてと言ったら1500円ならいいよという。250円で来たのに、同じ道のりを1500円で帰るなんて、はなはだおかしいと思ったので断る。

しょうがないので洞窟の公園の入り口付近にあるレストランで、ソンテウが現れるのを待ってみた。しかし待てども来る気配なし。

レストランのオーナーに、ソンテウ全然来ないねと聞いてみると、ちょっと待ってろと言って、どこかに電話をかけてくれた。そして電話をかけ終えたオーナーが一言

 

今日はもうフィニッシュ

 

・・・え?っていうか、は?

じゃあどうやって帰ればいいの?と聞くと、さあ?と・・・・

 

ラチがあかないので、なんか適当に歩いてみてヒッチハイクでもするかと思って5分くらい歩いてみたけど、この暑さの中ありえないし、ヒッチハイクってほんとに成功するのか、こいつら英語も全然通じないのに。

そして一番最悪だったのが、財布の中を確認したら、残りたったの500円。だってソンテウで帰って来れると思ったんだもん。

片道250円なんだから、全然余裕じゃんと思ってたけど、こうなるとギリギリ。万が一の事を考えて、この金は飯には使わない方がいい。

 

とりあえず近くの小さい商店に寄って、ソンテウ来ないのかな?と聞いてみる。全然英語通じないが、店のオジさんはソンテウはあるよ、そのうち来るよと言う。

じゃあここで待ってもいいかと聞くと、快く椅子を出して座らせてくれた。

そして私は不安に押しつぶされそうになりながら待った

ソンテウ来なかったらどうしよう、ここの近くの宿に泊まるか?いや、最低でも500円はするぞ。500円使ったら、次の日ソンテウにも乗れないじゃん。ATMないのかな、あるわけないよこんな世界の外れみたいなとこに。これってすごいピンチかな、夜まで待って来なかったら店のおじさん寝床用意してくれるかな、世の中にはもっとピンチの人がたくさんいるはずだ、例えば末期癌の人とかもっと絶望のはず、いやそんなのと比べてる場合じゃねえ、マジで頑張って帰らないと。

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そして待つこと1時間半ほど。ソンテウどころか車がほっっとんど通らない。

おじさんはあいかわらず頼りない笑顔でソンテウそのうち来るんじゃないと言ってるが、マジで頼りない顔しとる。

そして俺は思った。このオヤジはもしソンテウが来なくても俺を助けて泊めたり、なんか手を打ったりは絶対してくれない、と。直感で。

そのとき腹が減って倒れそうだったけど、俺は無意識のうちに立ち上がっていた

そしてけっしてここを通る車を見逃すまいと、神経を集中させた。

 

待つ事15分、ヨーロッパ人らしい人達を乗せた一台のバンが店の前を通りすぎた。おれは車の後ろに手を振るも、車はブーーーンと行ってしまった。

ダメだったかと落胆したが、5分くらい経ってまたその方向を見てみると、さっきのバンが300mくらい向こうで停まってる。まだ停まってる。これはもしかしてと思って走って行ってみた。

 

白人の男性が一人、そのバンの横にいる。

すいませんと話しかけ、事情を説明してみた。すると、わかったちょっと待っててと言って、横のレストランに入って行った。おれも着いていくと、白人の女性が8人、テーブルに座ってい談笑している。

聞くと、ターケークの町からここまでみんなでバンを1台チャーターして来たらしい。

そして一人の女性が、帰り道はたぶんそのナヒーン村を通るはずだから、もちろん乗っていっていいわよ、ただし今からみんなでご飯を食べるところだから、それまで待っててねと言ってくれた。

ありがとう!!!!マジでありがとう!!!!と、お礼を言いつつみんなと少し話した。

 

そして30分後、ついにバンは動きだし、わたしは運転席と助手席の間に乗せてもらった。運転はラオス人の無愛想な雇われドライバーで、助手席はイスラエル人のおねーちゃん。

安堵と、そしてせめて無愛想にだけはするまいという心がけから、積極的におねえちゃんに話しかけた。どれくらい旅行してるの?これからどこ行くの?イスラエルではどんな仕事してたの?とか。つたない英語だけど、必死に話した。

 

そして走ること40分。あるT字路で車が停まったけど、どこだここ?と思ってると、ドライバーがここで降りろ、あっちの方に歩けばナヒン村だという。

野暮な事は言わずにパッと降りて、みんなにお礼とお別れを言った。

ほんとーーーーにありがとうございました!

どうぞ良い旅をみなさん!!

ありがとーーー!さようならーーーー!!

そして・・・いったいここはどこだ?

 

 

後編につづく

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