シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

怖い体験「ラオス/コンロー洞窟」前編

みなさんラオスを知っていますか。行ったことはありますか。

ラオスは、国土の70%が山岳地帯で、タイ、ミャンマー、中国、ベトナム、カンボジアに囲まれており、東南アジアの中で唯一、海と接していない国です。

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ここがまた良い具合に発展途上で、人は純朴で、大自然に溢れていて、東南アジアではラオスが一番好き!という人もけっこういる、とても素朴な良い国なんです。

しかし私は一度とんでもない目にあった事があります。

 

私は昔から旅行のときに日記をつけているんですが、先日このラオスの事件についての日記を発見しました。この出来事は今ではおぼろげにしか覚えていなかったんですが、

この日記を読んで鮮明に思い出しました。なかなか面白いので、ほぼその日記のまま、少しだけ情報も書き足し、書き写してみました。あまり写真はなく、ちと長いかもしれませんが、お時間ある方は序章も含めてぜひ読んでみてください。

本編は中編、後編からです。

 

【 あらすじ 】

これは2015年の5月に、一人でタイラオスを2週間ほど旅行したときの話です。

私はタイのバンコクで2、3日滞在したあと、バスでラオスとの国境にあるナコーンパノムという町に行きました。そこからさらにバスで国境を越えラオスに入りました。私が目指すところはコンロー洞窟という全長7.5kmもある長い洞窟です。

普通この洞窟へ行く旅行者は、国境にあるターケークという町から日帰りツアーに参加します。しかし私が選んだのは、ターケークからバスでビエンカムという村まで行き、そこからさらに違うバスに乗り換えてナヒンという村へ行き、そこで一泊してから、次の日にまたバスでコンロー洞窟へ行くというものでした。

バスと行っても、日本で見るような大きく長いバスではなく、ソンテウという乗り合いのバンです。

無事にコンロー洞窟へ辿りつき目的を果たしますが、帰りに思わぬ事態が。

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【 序章 】

 

4月29日

バンコクから深夜バスで、12時間以上かけてラオスとの国境にある街、ナコーンパノムに着いた。

わりと大きな町だったが、とくに見るものはなくメコン川沿いを自転車で行ったり来たりした。

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夜は一人で町をブラついていたら、店の掃除をしている同じ年くらいのタイ人の兄ちゃんが、あまりにもつたなすぎる英語で話しかけてきた。

ビールは好きか?パーティーは好きか?と聞いてくるので、「うーん・・・まぁまぁかな。あんま好きじゃない」と答えたが、じゃあこれから一緒にパーティーに行こう!しかも、もう一人日本人の友達がいるんだぜ、名前はリオっていうんだ。リオー、リオーー!とものすごく嬉しそうに話しているので、まぁ悪い人じゃないし、店も特定してるんだから騙されはしないだろうと思い、しぶしぶ承諾した。

あっちから誘ったんだから奢ってくれるんだろうと思ったら、向かいの7-11でビールを4本お菓子を買わされた。

そして店先で待つこと20分、スクーターでタイ人2人と、若い日本人男性1人が登場した。挨拶もそこそこに、店先にテーブルを出し、みんなで俺の買ったビールを回し飲みし始める。

リオと呼ばれている日本人青年は、本名は「りょう」で、今は大学を休学し一人で長期旅行をしているんだとか。

タイ人は全部で5人ほどになったが、わたしに声をかけてきたのはその店(板金屋)の社長で、他の4人(男1女3)はそこの従業員らしい。英語が少しできるのは小さいダンプ松本のような、太ももに大きい鯉の刺青が入った女だけで、社長はリオー!リオーー!しか言わない。

30分ほど経つと社長がものすごく辛いパパイヤサラダを作り始め、それを食わされた。1時間少し経つと従業員もかなり眠そうだったので(社長だけ元気)、そのりょう君と二人でおいとました。

 

帰り道にそのりょう君が、あの社長は実はホモで、昨日も一緒に飲んだが、立ちションしてるときに後ろから抱きつかれてチンコを揉まれたと言っていた。

 

 

4月30日

朝9時半、ナコーンパノムからバスで国境を越えて、ラオスに入った。

そしておんぼろバスに乗りビエンカムという町に向かう。バスはラオス人で満員で、わたしの隣には若い仏僧が2人座っていたが、2人で焼き鳥を食べていた。タイの仏僧は肉はオッケーなのだろうか。

噂には聞いていたが、ラオスの道はほんとうに凸凹で、縦揺れがハンパない。そして周りには何もなく林や山が広がっているだけ。繁栄度をタイと比較すると、タイが5ラオスが1だ。

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バスは一時間ほどすると小さい出店がいくつか並んでいる所で急に止まり、何人かが降りたので自分も降りる。出店にはどっかで勝手に採ってきたのであろう、野草、蛙、大きい蟻、ナマズ、大きいトカゲ、黄色い鳥、子鹿、ハクビシン?、巨大なムササビ等が売られていた。ものすごく雑に並べられて。

それからまたバスで凸凹道をさらに2時間くらい走り、ビエンカムという何もない村で降り、そこからソンテウという乗り合い小型バスのようなのに乗ろうとするが、待てども待てども出発せず、1時間ほど経ってやっと動くかと思ったら、色んな荷物を積み始め、足下にも目の前にも野菜やら砂利やらが置かれて、他に現地人10人ほど乗せてやっと出発した。

 

あいかわらず道は凸凹、砂埃や排気ガスがすごくてみんな口を押さえていた。そして山の中をトロトロと登ったり降りたりで、心が折れそうになったが、山の上の方まで登ったときの景色はすごかった。なんというか中国の風景区のような、仙人がいそうな山々の連なりを見下ろしていて、ラオス恐るべし!と思った。しかし車はぎゅうぎゅうでガタガタのゴホゴホで、正直景色を見るのも辛い体勢を強いられていた。

 

そのソンテウで一時間半は耐えたであろうか、終点のここナヒン村に着いた。しかし本当の目的地はさらにここから、またソンテウで一時間のコンロー村なので、バス停でまたソンテウの出発を待つ。時間はもう午後4時半。

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人に聞くと、あと30分で出発すると言うので、じゃあその前に飯を食おうと思い、近くの「英語、フランス語、話せます」という看板が立っているレストランに入って、フライドライス(チャーハン)を注文した。しかしいつまで経ってもフライドライスは来ない。あと10分くらいでバスは出発だというのに。

しびれをきらし厨房を覗くと、まだ材料を洗ったりしている。おじさん時間ないんだけど・・・と言ってみるが、せかしてもどうにもならない雰囲気。

 

どうしようかなと考えていると、店の前にゲストハウスの看板がある。オジさんにこの近くにはゲストハウスがあるの?と聞くと、たくさんあるよというので、今日はここに泊まろうと決め、冷蔵庫から勝手にビールを出して飲んだ。

すると急に気が楽になって、おじさんのフライドライスもやっと出て来て、それと同時にソンテウは出発し、目の前を通りすぎて行った。

フライドライスは思いのほか美味しく、店にはWi-Fiもあったので、ネットで調子の良さそうな宿を調べ、すぐにそこにチェックインした。値段は600円ほどで、小ぎれいな所だった。Wi-Fiもあると言っていたが、全然繋がる気配なし。

すぐに風呂場で服を洗濯したら、水が茶色くなった。土埃のせいだろう。

 

外を散歩したらすぐに日が暮れ、店も全部閉まり、夜7時前には村はシーーンとなり犬の吠える声しか聞こえなくなった。

宿で瓶ビールを1本買い、部屋で飲んでいたらすぐに眠くなったので、8時頃にはもう寝てしまった。そうとう疲れていたんだと思う。

朝から晩までただ乗り物に乗っていただけなのに、この冒険した感やりきった感はいったい何なんだろうか。これがラオスの一つの魅力なのかもしれない。

 

中編へつづく

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