その5はこちら
乗り合いリクシャーでサールナートに向かう
最後までずっとここバラナシにいるのはさすがに退屈だと思った私は、バラナシの北へ10km行ったところにあるサールナートという村へ行くことにしました。
サールナートは仏教の四大聖地の一つとして有名で、各国のお寺や、ストゥーパという仏陀を祀るために立てられた巨大な仏塔があります。
どうしてここが四大聖地の一つかと申しますと、仏陀はここからさらに250km離れた所にあるブッダガヤという村で、始めて悟りを開きました。そのあとサールナートにいた5人の旧友に説法をするために、ここまで歩いてきたのだそうです。
この5人の旧友と仏陀は、その昔いっしょに苦行をしたのですが、仏陀は苦行をやっても悟りは開けないと思って、苦行をやめて一人で旅立ち、そのときに他の5人は仏陀をとがめたのだと言います。
なんで苦行やめるなんて言うんだよ!
いっしょに死ぬまで苦行続けるって言ったじゃん!
おまえ仲間を裏切んのかよ!!
そんな事を仏陀が言われたかどうかはわかりませんが、仲間から一人はずれるっていうのは勇気がいることですよね。
私も昔、飲み会のときに、早めに帰ろうとする友人に、こんな罵声をよく浴びせていました。きっと寂しかったのもあるし、自分の意志を貫ける友人が羨ましくもあったのだと思います。
まぁ私のしょうもない回想はおいといて、その日も私はもちろん時間がたっぷりとあったので、乗り合いオートリクシャーで行ってみることにしました。
バックパックを背負いゴドウリヤ交差点まで行くと、声をかけてくるリクシャーがたくさんいました。何人かと話したのですが、みんな乗り合いでは行かないと言うので、さらに5分くらい歩くと、一人のオジさんに声をかけられました。
ヤクザの末端構成員みたいな、サインドウィッチマンの伊達みきお似のオヤジで、こいつのタクシーにだけは乗りたくないという奴だったんですが
どこに行く!
・・・サールナート
乗れ乗れ!
・・・でも乗り合いじゃないと
乗り合いで行くから乗れ!
・・・うん
こうなってはもう乗るしかありません。俺はおまえの顔が嫌いだから乗らない、と言う勇気は私にはありません。
しかしオヤジの言い値は110Rp(160円)と高いし、なぜか半端な数字。私は50Rpで余裕で行けるとふんでいたので、少々ためらいましたが、これもなにかの縁と思いリクシャーに乗り込みました。
私が後部座席に乗り込んだあとも、オヤジは乗り合いをする人を探します。5分くらいして、やっと気弱なサラリーマンみたいな二人のオジさんを連れてきて、3人の客を乗せてリクシャーは走り出しました。
しかし走りながらもオヤジはまだ乗客を探しながらトロトロ進んでいきます。途中知り合いみたいな奴を乗せたり、1人の乗客が降りたりして、15分くらいでやっとどこかに着きました。
するとオヤジと気弱なサラリーマンがなにやら口論を始めました。どうやら彼はここで降りるみたいですが、その料金の事でもめています。間違いなくオヤジが高くふっかけて、サラリーマンはありえない!みたいな事を言っていますが、結局しぶしぶ40Rp払いどっかへ行ってしまいました。
そしてリクシャーに残ったのは私一人。オヤジは運転席からクルッと私の方を振り向き
じゃあ110Rp(手を出して)
は?ここはどこ?
110Rp払って
ここはどこ?って聞いたの
ここは駅だ
サールナートじゃないの?
ああ、だから110Rpくれ
サールナートに行かないの?
あそこでバスに乗れば行ける
俺はサールナートに行くから110Rpやるって言ったんだ
だからバスに乗れば行ける
いいから行け!サールナートに行け!
いいから110Rp今くれ
そうか行かないのか。じゃあ俺はここで降りるわ(40Rp財布から出す)
それはダメだ110Rpだ
じゃあ行け!サールナートに行け!それかここで40Rp払って駅に行くわ!
わかったわかった!じゃあ行くよ!
サールナートに行け!!早く行け!!
このようなダルい言い争いをして、やっとオヤジのリクシャーは走り出しましたが、結局5分くらい走ったところで、オヤジは別の気弱なリクシャーに私を無理矢理押し付け、彼から金を100Rpを受け取って去って行きました。
たった10Rpで私をサールナートまで送らなければいけなくなった不憫なおじさんは、けっこう真面目な人で、10分くらいかけて乗り合いの乗客を探し、ちゃんとサールナートまで送ってくれました。
まぁ一応想定の範囲内だったのでいいんですが、移動ひとつでいちいち疲れます。
北インド、とくに観光客が多いところのリクシャーの移動では、このような事がよく起こりますので、心してかかりましょう。
サールナートの日本寺で勤行に参加する
サールナートはバラナシから近い事もあり、たいてい外国人は日帰りで訪れるんですが、私は時間もあったので一泊してのんびりする事にしました。以前の旅行で、ここにも一度来ているので、もう新しく見るものもないんですが。
800Rp(1,200円)の小ぎれいなホテルにチェックインしたのは午後3時くらいでした。私はさっそく、行こうと決めていた日本寺まで歩いて行きました。
日月山法輪寺という日本のお寺です。門をくぐると、久しぶりに見た日本式のお寺がありました。お寺の中は日本の線香の香りがして、とても懐かしい感じがしました。
寺の周りを少し歩いてみると、敷地の中の違う建物に、この寺への宿泊に関する事が書いてありました。
どうやらこのお寺では誰でも無料で宿泊ができ、条件として朝5時、夕方5時の勤行に参加しなければいけないようです。
じっとこの宿泊条件の紙を見ていると、一人の現地人っぽいオバさんがやってきました。こっちをジッと見ているので、英語で「ここは泊まることができるんですか?」と聞いてみたところ、なんと日本語で「ええ、そうですけど。日本の方ですか?」と返事が返ってきました。
なぜ日本語がペラペラなんだろうと思いながらも、少しこのお寺について質問すると、「せっかくなんで、お坊さんに会っていかれたらどうですか?」と言って、キッチンの方に通してもらいました。
そしてそこには、色白で頭を借り上げた、おそらく60歳くらいの一人の日本人の尼さんがいらっしゃいました。
イスをすすめられたので、ちゃっかり座り少しお話させていただきました。
この方がどうやらここのご住職で、この方のご両親がこのお寺をたて、この方は20年前に出家なさって、両親からお寺を引き継いで今にいたるとのことでした。
20年前までは普通に東京の会社で働いていて、子供さんも日本にいらっしゃるのだとか。
このお寺の宗派は日蓮宗で、お経は南無妙法蓮華経と唱えます。
とても気さくでお話が好きな方で、チャイやクッキーまで出していただいて、30分ほどお話させてもらいました。
私は尼さん(女性のお坊さん)と話すのは始めてでしたが、やはり女性は母性があるせいか包容力があるというか、男性のお坊さんよりも話しやすいですね。
以前の旅行でブッダガヤという所に行ったときも、そこの日本寺のご住職さん(60歳くらいの男性)とお話する機会があったんですが、けっこう緊張して何も聞けませんでした。その方も割と気さくで謙虚な方でしたが、土建屋の社長みたいなオーラがありました。
唯一聞いたのが、「乞食に会ったとき、どうすればいいでしょう。お金をあげるべきですか、あげないべきですか?」
その方は「あげたかったらあげればいいし、あげたくなかったらあげなきゃいいんじゃない、はっはっは」と答えられました。私は最近この意味がようやくわかった気がします。ありがとう住職!
そしてその日は、これから夕方の勤行があるようなので、おいとまさせてもらいました。このとき私は、翌日早朝の勤行に参加してみようと思いました。
次の日の朝、私は朝4時半に起床し、日本寺での朝の勤行に参加すべく、ホテルを出て歩いてお寺へ向かいました。
朝4時半はまださすがに外は真っ暗でしたが、外を歩いている人がけっこういました。インド人は朝起きるのが早いらしいです。仕事を始めるのは遅いですが。
5時ちょっと前くらいにお寺に着いたのですが、もう朝の勤行は始まっていました。
お寺の中では、あの尼さん、もう一人インド人のおじさん(きっとこの方もお坊さんです)と、若いインド人の少年がお経を唱えていました。少年たちは見るからにイヤイヤやっています。きっとここに住み込みで働いているインド人でしょう。
私もその少年の後ろにあぐらをかいて座ると、お経を渡されたので、見よう見まね?でみんなに合わせ読経しました。
10分くらい続いたかと思うと、次はみなさん志村けんのだいじょぶだぁ太鼓みたいな、手に持つ太鼓を持ち、それを叩きながら南無妙法蓮華経を唱えます。
太鼓のリズムが難しかったですが、静かなところでお経を唱えていると、太鼓とお経がすごく耳に心地よく、心が落ちつきます。
これを20分ほどやっていたと思うんですが、それからお寺を出て隣の敷地に行きました。隣にはストゥーパが建っており、そこを列になって太鼓を叩いて歩きました。
この頃にはもう空が白み始め、空気が澄み切っていてとても気持がよかったです。
太鼓を叩いて歩きながら、大昔、この日蓮宗を作った日蓮上人も、こうやって太鼓を叩きお経を唱えながら、全国を歩いて回ったのかな、と感慨深い気持になりました。
そしてようやくお寺へ戻り、朝の勤行が終了しました。
みなさんはこれからまた色々と仕事があるようで、少し慌ただしかったですが、私はお線香に火をつけている住職さんに挨拶に行きました。
住職さんはまた色々と、自分の生い立ちや、仏教の大切さ、日本やご家族のことを話してくれましたが、その中でも因果ということを何回も言っていました。
自分の両親は子供の頃から私の世話をいっさいせず、仏教に没頭していた。若い時から今まで、本当に苦労苦労の人生だったが、それもまた自らが招いた因果。そしていまここで坊さんをやっているのも因果。そしてあなたが今日いらした事も因果。
線香を持ちながら立ってお話しをしてくれたんですが、結局線香が全て燃え尽きるまで、30分以上もずっと話してくださったと思います。
でもなんだか住職さんは私に話しながらも、ご自分に言い聞かせているような気がしました。お坊さんといえども、人間死ぬまで修行なのかもしれません。
勤行に参加したのは結局この一回だけでしたが、今もときどき心の中で南無妙法蓮華経を唱えています。ご住職、ありがとうございました!
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