シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

呆け老人介護がテーマの「恍惚の人」を読んだ

11月の中頃から一人でマレーシアに旅行に行き、昨日バスでシンガポールに帰って来ました。

いつものように、のんびりするために行ったので、本を1冊だけですが持って行きました。「恍惚の人」という1972年に出版された、かなり古い本です。前に一度読んで面白いなぁと思ったので、今回2度目の再読になります。

 

 

内容は超ざっくり言うと

おじいちゃんが呆けちゃって、その面倒を見ることになったお姑さんが超大変な思いをする

っていう感じなんですが、このボケ老人の介護というのが、現代でも全く色褪せないテーマで、むしろ今の人のほうが感じることが多いような気がします。

 

面白いのは、まずこのおじいちゃんが、呆ける前はすごく意地の悪い人で、周りから嫌われ者だったんですが、呆けてからは毒気が抜けておっとりした人になり、さらに呆けると、無邪気な笑顔を見せる天使のような人になってしまうんです。

文中でこれを見てお医者さんが「だいぶ戻られましたね」なんて言っています。おしめをして、歩くのもままならなくなって、本当に赤ちゃんに戻ってしまうんです。

 



作家は、有吉佐和子さんという人で、「複合汚染」という公害についての作品も書いているそうです。老人介護の問題といい、当時から将来に起こる問題をすでに見据えていたんですね~。ごいす~

 

じつは私の親戚でも最近ちょい呆けが始まった人がいまして、記憶力が非常に悪くなり、過去の出来事もときどき自分の勝手な妄想とすり替えてしまうそうです。まだ私の事は覚えていてくれてるだけいいんですが、昔はとてもしっかりした人だったので、そういう所を目の当たりにするとちょっと複雑な心境です。

 

まぁその方はもう80過ぎですから、しょうがないと言えばしょうがないんですが、同じ年齢でもしっかりしている人は本当にしっかりしていますから、なんでこうも差が出るものかなと少し不思議に思います。(なんとなく食べ物が関係してるかなとは思うんですが)

 



そして、うちの母も、この間いっしょに韓国へ旅行に行ってきたんですが、ちょっと記憶力が弱くなったなぁとは感じました。ホテルの場所が何日経っても覚えられないとか。私がもう40半ばですから、うちの母もなかなか高齢で、それはしょうがないんですが。

 

おそらく私はまだ、人間は年をとってやがて老人になってしまうという事実を、どこか他人事として見ているのかなと少し思いました。

自分や家族や友人を見て、年をとったなぁとはもちろん思うんですが、これからさらに老けていくという事実は想像できないというか、しようとしないというか。一種の現実逃避なのかもしれないですね。

 

だからときどきすごく若いときの自分の写真を見ると、それと今の自分の姿を比べて、俺も老けたなぁ。。。ほんとに年とるんだなぁ。。。なんて認めざるを得なくなり、少しショックを受けます。

 

 

この小説の中で、おじいちゃんの世話をすることになったお姑さん、そしてその旦那さんが、醜態をさらすおじいちゃんを見て「オレたちもいつかはこんな風になるのかなぁ」「こんなになるまで長生きはしたくないなぁ」なんて何回も言うんですね。

彼らも今までは想像もしなかったけど、実際におじいちゃんのその姿を見て、自分の未来も想像するようになったのです。

 

そしてこの夫婦の、大学生の一人息子が、二人に向かって「パパとママはこんなになるまで長生きしないでね」なんて辛口をたたき、そう言われたお父さんは「あいつはまだ若いから、自分も将来そうなるなんて思わないんだな」と言います。

 

まったくその通りだなと思います。個人差はあると思いますが、人間が想像できる未来には限界があって、リアルに想像ができるのは、10年後とかそれくらいが限度じゃないかなと思います。

 

 

自分が小学生のときは、高校生、いや中学生ですら、ものすごい大人に見えて、自分も本当にこうなるとは想像してなかったような気がします。

あと私は当時、すごく変な事を考えていて、子供たちの3分の1は成人になる前に死んでしまうと思っていました(笑)だから、自分は果たして成人になれるのか、いやなれないだろうと心配していたのを、うっすら覚えています。

 

そんな私もすでに40なかば

光陰矢の如し

 

同い年

 

こんな事を書くと、年をとるのを嘆いていると思われますが、私はたんに感慨深いなぁと言っているだけで、悲観的になっているわけではありません。もちろん張りのないお肌にはたまにガクッときますが。

 

ただ年を重ねるごとに、世の中ではネガティブだと思われる事に興味が向いていく傾向はあります。どちらかというと苦しみのほうにフォーカスしてしまうんです。若いときはこうじゃなく、辛気臭い事言うやつには喝を入れてましたが。

 

でも私はこれは自然な事ではないかなと思います。無理にポジティブサイドだけ見ようとしている人の方が、よっぽど気苦労が多いように見えますし。

 

 

 

小説の中で一番印象に残っているのは、この姑さんが、自分のところでも老人介護をしているお友達と、介護について話す場面です。

そのお友達が介護をすると決意したきっかけについて話すんですが、こんな事を言います。

「自分がお婆ちゃんをきちんと見送ってあげれば、自分はああならないですむんじゃないかなって気になったんです。これって理屈じゃないですよね」

それを受けて姑さんも

「私もなんだか似たような心境で、(介護をしていると)ときどき神様に奉仕している気がするときがあります」

なんてことを言うんですが、私はこの言葉が、この暗い憂鬱な問題の救いになるような気がしました。

 

 

私は今のところまだ、すぐにだれかの介護をするという状況ではないので、まだいくらか気楽に、いくらか他人事のように読めましたが、周りではすでに他人事ではない友人もちらほらおります。もうそんな年ですから。

 

でもこの小説は、けして暗いだけの話ではなく、最初から最後まで非常にバランスの取れた、素晴らしい作品だと思います。個人的に殿堂入りです。

 

きっと何か感じることがあると思うので、興味があったらぜひ読んでみてください。

 

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