シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

惜福の工夫

前に旅行先で買った古本にこんな言葉が書いてありました。

 

福を惜しむと書いて、惜福(せきふく)

 

この本はあるプロ将棋士のおっさんの本なんですが、運をいかにものにするかというタイトルだったので、ほほうと思って買ってみました。半分は面白く、半分くらいはくだらねぇ(失礼)と思ったのですが、この惜福という言葉は、事あるごとに考えさせられる、そして次の世代に残したい面白い言葉だなと思いました。

 

 

中国語にも同じ言葉があり、中国語の辞書には、過分の幸福を願わない、分相応の生活をすると書いてました。

 

日本の検索エンジンで惜福と調べると、だいたい明治の文豪、幸田露伴が自著「努力論」で主張したものと出てきます。

そんな明治の文豪の本なんて読んだことないですが、私の世代で露伴と聞けば、JOJOの奇妙な冒険岸田露伴を思い浮かべます。

 

なので、岸田露伴のような異国風な青年をイメージしながら幸田露伴をググってみたら、想像とは全く違う、まさしく明治の文豪という顔をしたおっさんでした。

 

さてここで問題です。

どれが本物の幸田露伴でしょうか。

 

左上:福岡正信、右上:出口王仁三郎、左下:幸田露伴、右下:加納治五郎

 

 

幸田露伴の惜福は、中国の惜福とは微妙に違い、要約すると、与えられた福(幸運)を使い尽くしてしまわないこと、とあります。

そして、そういう心がけをしている人の所にまた福が巡って来やすく、そういう事を考えず福を余さず使い切ってしまう人の所には、不思議と福は寄って来ない、とも書いてます。

私はこの惜福の解釈のほうが好きで、自分の経験と照らし合わせても、とても腑に落ちます。

 

福を使い切らない「惜福」が一番、言うは易し行うは難しという感じがします。

 

惜福のわかりやすい例えは、パチンコでめっちゃ勝ってるときに、勝ってる間はとことん打ち続けるのではなく、きりのいい所、ここでやめてもまぁそこそこ満足だよという所で切り上げる。個人的には、これが私が思いつく一番わかりやすい例かなと思います。

 

しかし自分が自然と今までやっていたなぁと思う惜福は、例えば

  • ホテルに行ったときに、無料だからと言ってホテルの歯ブラシ、余ったタオル等を使わないこと。
  • 世の中が色々と値上がりしているけど、自分の日本語のレッスン料を賃上げしないこと。
  • 誰かがおごってくれたら、必ずしもその人じゃなくても、自分も誰かにおごってあげること。

もし、私は以上のような事をするようにしているよと他人に言うと、これは正しいことだからキミもやらなければいけないよ、と言っているようにとられて、反感を買ってしまう気がしますが、そういう事ではなく、あくまで私の惜福の工夫なのです。

 

逆に惜福ができてないなぁと思うのは、例えば

初めて行くレストランなどでメニューから一番美味しい物をなんとか見つけ出して食べてやろうとするときです。

食べ物以外でも、旅行のときのホテル探しや、観光プランなどで、どうにか最高の旅行にしてやろうと時間をかけて調べたりするときです。

 

えっ、これは別にいいんじゃない?と思われるかもしれませんが、私はこういうときの自分の狂気的な欲深さを知っているので、これでは計画通りに行ったとしても福は来ないなと思うのです。

できればここで、まぁ旅行できるって事がそもそも感謝しなきゃいけない幸運なのだから、この上最高の経験がしたいだのと欲を張るのはやめよう、と思える人に私はなりたい。そんな惜福ができるようになりたい。

 

 

あとネットで見かけた誰かさんの惜福の工夫で、人の嫌がる仕事を進んでやる、電車では席に座らないようにする、と書いてた人がいて、これは私には思いつかないので面白いなと思いました。

さらにこのコメントに対し、惜福なんていうのは見返りを期待した善行で気持ち悪い、席が空いてるのに座らないのは逆に迷惑です、などと書いている人がいて、これまた面白いなと思いました。

おそらくこれらの異論は、まだまだ自分で運命を切り開いていける元気のある若い人じゃないかなと思います。

年を経て元気が少しずつなくなってくると、否が応でもでも福や運気の流れを考えざるを得なくなるのではないでしょうか。

 

 

惜福に関係あるかどうかわかりませんが、中国の昔の皇帝には「」という数字が好まれたと聞いたことがあります。なぜ切りの良い「10」ではなくて、その一つ前の「9」なのか。

それは「10」というのは完璧、頂点を意味しているからです。

 

 

それならなおさら「10」のほうがいいじゃないか、という気がします。しかし物事というのは、極みに達すると必ず反転が始まります。

「陰極まれば陽になる」です。

 

完璧になったものは、今度は次第に崩れていき、頂点まで登ってしまったら、あとは下るしかないのです。繁栄が極まってしまえば、あとは衰退するしかないということです。

しかし「9」というのはまだ上昇の途中であり、しかも一番極みに近い位置にあります。ですから皇帝は、これからも自分の繫栄が続くようにと、少し控えめな「9」を愛したということです。

ええ話や!全中が泣いた!

 

こんなもの子供だましのただのゲン担ぎや迷信だと笑う人もいるでしょうが、笑っていられるというのは、さっきも書いたように若くて元気がある証拠です。

そんな人は自分の力で運命を切り開いていってください。

 

 

そろそろ気力も体力も減ってきて、運にでもすがりたくなってきたセンチなお年頃のヤンピンさんは、最近はこんな事を考えているのでした。

あなたのところには福が入ってきているでしょうか。もしなかなか入って来ないのであれば、一工夫してみてはいかがでしょう。

 

 

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