シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

パニック障害になって良かったこと

じつは昨年の秋ごろに生まれて初めてパニック障害というのを発症してしまい、それからいまだにときどき発作を起こして、少し困っている。

発作というのは、私の場合は過呼吸のようなもので、何かが引き金になって突然息苦しくなる。

 


パニック障害というのは、日ごろから大きなストレスを感じている人がなるものだと勝手に思っていたので、全然ストレスがないと思っていた自分がなってしまい、かなり困惑した。

もちろんストレスが全くない生活ではなかった。仕事のストレスもときには少しあったし、夫婦間のストレスだってある。しかし、それにしたって周りの人と比べたら私が感じるストレスは雀の涙のようなものだと思っていた。
でも、もしかしたらそうではなかったのかもしれない。

それか、私が発症したパニック障害はストレスとはあまり関係のないものなのか。

 

まだクリニックなどには行っていないし、行った所で治るようなものではないんじゃないかなと勝手に思っている。専門家に失礼だけれど。
打ち明けた(そんな大げさなものではないけど)のは奥さんと、よく会う友達数人にだけ。別に隠しているわけではないけど、べつにあえて人に聞いてもらいたいものでもないし。
ただ、周りにもそういう人がいて、誰かに聞いてもらいたいのならば、聞いてあげたいと思うようにはなった。

 

ときとしてなかなか辛い病気なのだけれど、この病気になって良かったなと思うことが一つだけある。それは、精神的な問題を抱えている人の気持ちが、前よりもわかるようになったことだ。


私の周りでもパニック障害とかうつ病とか、そういう人が少しいたが、今まであまり彼らの抱える問題について深く考えたことはなかった。
しかも、多かれ少なかれ彼ら自身に問題があって、自業自得に近いのではないかと心のどこかで思っていた。

 

でもね、今は彼らの気持ちがよくわかる。

まだ半年も経ってないけど、かなり辛くてこの世からおさらばしたいという考えが脳裏をよぎった事も数回あった。これはなった人じゃないときっとわからないだろう。

なんというか、希望が一つも見いだせない感じ。

私は旅行中などにちょっと死にかけた事が今まで何回かあるのだけれど、それとはまた違った、死との対面。

自殺しようとしている人に対して、どうして「死ぬ気になれば何でもできるからとにかく死ぬな」なんて言うのがいけないのか、やっとわかったような気がする。

もしかしたら、たった半年患っただけのあんたに何がわかるのよと言われるかもしれないけれど。

 

とにかくそれくらいしんどかったときもあったし、多少よくなったけれど、今だにときどき起こる。まだ治ってはいない。
しかし、少なくともなんとか治してやるぞという気力はある。

 

比較的ポジティブな性格だし(今となっては怪しいが)このパニック障害の原因や原理にかなり興味があるので、自分の症状やパターンを観察しながら、なんとか生活はできている。
もし克服できたなら、自分の経験がきっと他の苦しんでいる人たちの役にも立つだろうし。

 

だからさっさと治したいのだが、焦りは禁物だろう。私の人生の大失敗は、ほとんど焦りが起因している。

私は病気や災いというのは、自分の悪い習慣などを改めるために与えられたチャンスだと思っている。他の人にこの考えを押し付ける気はないが、この考え方は問題を根本から解決するためには欠かせないことだと思う。
別に問題を抱えている人が悪いということではなくて、悩みや苦しみには必ず意味があるということだ。

 

同じようにパニック障害に苦しみ悩んでいる方、きみは一人ではない。一緒に気長に治していこう。

まずは息を吐き切ること。要らないものを出し切ろう。心の断捨離、始めよう!

 

 

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