シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

ちっぽけな私の ささやかな幸せ

今日とても良い事がありました。

 

おっと

普通の人にとっては全然羨むようなことではないので、嫉妬深いあなたもこのまま読み進めて大丈夫ですよ。

 

昨日の夕方頃、家の近くを散歩していたところ、怒鳴り声が聞こえてきました。

誰かがめっちゃ大声で叫んでいるんです。ローカルの言葉で「チバイ!!(マ◯コ)」と言っているのが聞こえます。

いったい何があったのかと、声のする方へ行ってみたら、車の入れない遊歩道で、インド人のおじさんがものすごい剣幕で、同じくインド人っぽい道路工事中の外国人労働者(バングラデシュかもしれない)たちを怒鳴り、罵っていました。

 

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周りを見渡してみると、奥のほうにインド人のオバさんと、泣いている子供が一人、そしてGrab(フードデリバリー)の大きなバッグを乗せた電動自転車が倒れていました。

オバさんに、これは彼の?と聞くと、どうやら彼は旦那さんで、バッグを積んだ電動バイクで3人乗りをしてこの道を走っていたときに、ワーカー(外国人労働者)が道路工事の誘導をちゃんとしていなかったから(オジさん側の言い分)、オジさん達は自転車で転んでしまい、彼は腕を擦りむき、子供もどこかケガをしたのか(外傷はなし)泣いていたと、そういうわけらしいです。

ちなみにオジさん少し酔っぱらってるぽかったです。

 

オジさんは

てめえら何考えてんだ!おめえらがぼさっと仕事してっから俺らが転んじまったんだろうが!子供に何かあったらどうしてくれんだ!国に帰れボケ!マ◯コ!

と延々と怒鳴り続け、今にもワーカーに手を出しそうな勢いでした。

 

私は、こんなご時世に安い給料で国にも帰れずに毎日過酷な労働を強いられていて、さらにこんな目にも遭わなければいけないワーカーを非常に不憫に思い、オジさんが手を出さないように間に立ってオジさんをなだめました。

ちなみにオジさんが言っていることは、ワーカーの人達はおそらくほとんど理解していないようで、みんなきょとんとオジさんを見つめているだけでした。

 

数分かけてオジさんがようやく落ち着くかなと思ったときに、ワーカーの責任者のような男性がカタコトの英語で軽く反論しだし、それがまた火に油を注ぎ、オジさんがまたも詰め寄り、事態は振り出しに戻って、また10分近くオジさんは同じことを怒鳴り続けました。

ちなみにその道は遊歩道なので、ジョギングや自転車に乗っている人が多く、みんな怪訝な顔で私たちを眺めていました。

チバイ!と叫び続けるインド人の半グレオジさんと、その横にコバンザメのように寄り添い何も語らぬロン毛にヘアバンドのあきらかに現地人ではない男性。ちなみに私もオジさんもマスクはしていないのでしっかりと顔は割れています。

 

私はオジさんに寄り添いながらも、ワーカーに向けて、堪えてつかあさい、こんなひどい待遇で、こんな理不尽に怒鳴られなきゃいけない国ですが、なにとぞ堪えてつかあさい!という想いを送っていました。

(しかしあとから考えてみれば、こんなオジさんに怒鳴られる程度なんぞは彼らにとってはたいした理不尽な事ではないでしょう。もっと堪え難い事が他にたくさんあると思います)

 

そしてようやくオジさんが彼らから20mくらい離れたので(それでもまだ罵りはやめない)もうそろそろいいだろと思い、その場を去って散歩を続けました。

争いというものは周りの人がコントロールするのは不可能なのです。自分ができる事だけやって、「あとは若いおふたりで」と立ち去るのが吉。

 

ちなみにオジさんが乱暴者みたいに書いてしまいましたが、オジさんもおそらくシンガポールでは貧困層。このご時世、憤るしかないような事がたくさんあり、さぞかしストレスもたまっていたのでしょう。わかるよその気持ち。

 

 

そしてその次の日、ちょっと買物をしに少し離れたスーパーまで、ゆっくりと自転車をこいでいました。そして前日のその事件現場の近くを通ったときに、見覚えのあるシャツを着たワーカーが道ばたに立っていて、私を見るなり満面の笑みで親指を立ててきました。

私は彼の顔まで覚えてはいませんでしたが、間違いなく昨日怒鳴られていたワーカーの一人だったのでしょう。

私も笑顔を返して、そのまま自転車で走りさったのですが、そのときにとても幸せな気分になりました。幸せというより、なにか温かいもので心が満たされたという感覚でした。

 

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私はコロナの前は海外旅行をしまくっていたんですが、いつも田舎や、貧困な地域にあえて行っていました

それは、そういう地域の人達のほうが心が豊で、優しく、誠実で、そんな人達に会いに行きたい、そして彼らから人生に大切な何かを学びたいと思って、そういう所によく行っていました。

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しかしコロナでそれが二度とできなくなり(個人的な見解です)、シンガポールのような◯や◯に目が眩んだ◯◯するのが生き甲斐の心の貧しい人達だらけの国で(個人的な見解です)一生を終えるのだなと、もう素敵な人達との出会いや交流というのは完全にあきらめていました。

そんなとき不意に与えられたあのワーカーの笑顔とThumbs up、そんな些細な事ですが、私の心を満たすには充分だったのだと思います。

 

私は昔っからスケベったらしだったので、こういう心が満たされる系の幸せの他に、女の子とイチャついたりして得られる快感を追い求めていました。(男はみんなそうよ)

巷ではこの心が満たされる感覚と、ドキドキ興奮する感覚の両方を「幸せ」と呼ぶようですが、私にとって両者はあきらかに別のものです。

 

前者は、心が満たされることにより、寛容になれたり、他人を思いやれるようになり、良いサイクルに入ることができますが、後者は快楽のあとに必ず面倒な事がついてきます。まるで麻薬を使ってハイになったあとに、効果が切れて気分が落ち込み、あげくは後遺症に悩まされるように。

これは上がった物は必ず下がるという真理だと思います。(引力がある地球だけの法則かもしれないですが)

 

そして私は若い頃はとくに後者の快楽を求めて生きていたように思います。しかし今はもうそんな事はありません(たまにあります)

今は心が満たされる瞬間が、向こうからやってくるまで、それを与えられるまで、堪え難きを堪えながら、自分が正しいと思った事を、心が求めている事を、ひたすらに続けるという地味な人生を送ろうとしています。

 

たまに落ち込みすぎて、もうそんな幸せなんてやってこないよ、この世の全てを破壊して俺も死ぬ、と自暴自棄になりそうなときもありますが、ときおり起こる、人生もなかなか捨てたもんじゃないなという出来事で、まだ私は生きていけそうです。

それが今回はワーカーの笑顔だったと。

 

じゃあ、いつものあの言葉いきますよ

せーーーのっ

 

求めよ さらば 与えられん

 

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