前回までのお話
午後3時頃、非常におっくうだったが、もう少しどこかへ行ってみるかと思い、、グリスタン交差点に行き、馬車があったので乗ってみた。ショドルガッドという港へ向かう馬車だ。
運転手の少年は切れ長の目で上唇がめくれあがって、とても艶のある顔立ちで、私の大きいピアスにとても興味を持ってじっと見ていた。馬車が走りだすとかけ声と共に、馬をムチで叩く。まだ慣れてないのか、少しおぼつかない感じがしたし、ムチを振り上げるときに私の顔にもムチがときどき当たる。
馬車はすごい渋滞と喧噪の中を走って行く。四方八方から、車とバスとサイクルリキシャーが突っ込んで来て、それが停滞し、運転手たちは罵声を発する。それを少し上から見下ろす。ものすごい迫力だった。
オールドタウンの人の多さとカオスっぷりに圧倒された。微塵の交通ルールもないように見える。
途中で少年がお金と言ってきたが、金をせびっているのだと思って渡さなかったら、隣りの人が40TK払ったで、このタイミングで払うんだと思い自分も40TK払った。少年は私の顔をみるたびに笑う、わたしもそれを見て笑ってしまう。笑い合うだけで、こんなに楽しい気持になれるとは。
馬車は15分くらいで終点のショドルガッドに着いた。
川沿いにいるのはわかったが、建物があって河は見えない。チケットを買えば港の中に入れるようなので、10TK払って入ってみた。大きな船がたくさんあり、男たちが忙しそうに物を運んだりして働いている。この船がどこに行くのか、いくらなのか、とても気になるが、英語表記はないのでそれを知る術はない。
船着き場の端まで来るとボートがたくさんあって、その船頭らしいおじさんが話しかけてきた。200TKでどっかへ行くと言っている。笑って断るとそれが150TKになり100TKになった。それ以下にはならないようだ。
要はこれらは渡し船で、一艘に6人くらい乗れるみたいだ。
おじさんたちは自分のボートの順番が来るのを待っている、客待ちのタクシーのようなものか。乗ってみようと思い、一度港を出てぐるっとまわってその渡し船乗場に行ってみた。
日も落ちて来て、なんだかすごい光景に見えた。魂を揺さぶられる。こんな所はインドでも見た事がない。
あるグループが5人くらい乗っていたので、それに乗せてもらった。靴を脱いで乗り込む。
一人5TK徴収された。ボートの端から水面までは20センチくらいしかない。波が来るとボートの中にも水しぶきが少し入ってくる。
行く船来る船で河には無数の小舟が。そして大きな船もときどき通るので、小舟はよけなければならない。すごい光景だ。
10分ほどで向こう岸に着いた。
船から降りるときに捻挫した足をまた捻ってしまいすごく痛かった。
また服などを売っているバザールがあったので、その路地を歩いてみる。向こう岸よりも視線がさらにすごく感じる。ここは外国人は全く来ないのだろう。
建物の中に入るとさらにすごい視線を浴びる。見返して笑顔で何度も挨拶したり、ジャパンだと何度も説明した。セルフィーも取ろうと言われて取った。
もう直進してもきりがないので、左折する道を見つけ、ゴミと植物で埋まった小川の上の橋を渡り、また左折して川岸に戻ろうとして、また違うバザールの路地を歩くが、ここでもみんなの注目を一身に浴びて、挨拶しまくった。予想をはるかに上回る注目されっぷりだ。これはかなり疲れる。
やっと川岸に出て、チャドカンでまたアダ・チャー(しょうが茶)を飲む。
飲んでいるとロケットスチーマー*1が目の前を通った。やはり他の近代的な船とは異質だ。
あとほとんど沈んじゃってる船もよく見かける。土砂とかを運んでいるんだろう。
お茶を飲んでいるときに、物乞いのおばさんが来たので小額を渡す。しばらくしてまた同じおばさんが来たが、もう私にはくれとは言わない。物乞いの人にも節度があるように思う。これがインドだと確実にもう一度せびられるはずだ。
橋がかかっている所まで行こうと思い、リクシャーに乗ると、なんと電動リクシャーだった。見た目は普通のサイクルリキシャーと全く変わらないが、座席の下に小さいモーターがついていて、まったくこがなくてもよい。(写真は撮ってない)
まわりもよく見たら全部電動リクシャー。ドライバーに苦労感が全然ない。
橋の手前の土手で、丸太を切ったりしてる人達を見つけ、そこで降りた。
興味があったので近づいてみたかったが、他の労働者よりもいっそう汚い格好で、仕事も相当過酷そうなので、近づくのをためらって、やや離れてみていた。旅行者風情が冷やかしで見ていい物ではないように思えたから。
10人くらいの汚れた服のおじさんたちが、母ちゃんのためならーエンヤコラ云々と、かけ声を合わせながら、河から大きな一本の丸太を、少しずつ少しずつ引き上げている。相当重いんだろう。
それをようやく引き上げて、大きなノコギリを使って、二人ペアになり切っていた。それを20分以上もずっと眺めていた。
オジさん達も休憩に入り、私が見ているのに気づいて、こっちを見て笑いかけてくれた。ちょっと救われたような気がした。自分ならこんな過酷な仕事をしてる最中に外国人に見られて、笑顔で応えれるだろうか。でもみんな割と気楽にやっているのかも。
橋の下に着くと、そこで市場が開かれていた。ゆっくり見たかったが、疲れていて心に余裕がなく、さくっと歩いただけ。
階段を上がって大きな橋の上まで来た。橋の右側を歩いたが、通行者の進行方向とは逆になり、すれ違う人達が珍しそうに顔を見て来る。
橋から川と両岸を見下ろす。良い眺めだ。渡し船も一カ所ではなく、たくさんあるみたいっだ。ちょうど8月に行ったバラナシのガンジス河を思い出すが、こちらのほうがインパクトはある。手つかずの国ってすごいなと思った。観光客が入ってきたら、この景色もガラッと変わってしまうはずだ。
橋を渡りきったところで、小さなミニバスからグリスタン!という声が聞こえたので、そのバスに乗り10分ほどでグリスタンに着いた。バスの中には、ちょっと裕福そうな家族が乗っていた。家族で私の事を話しており、みんな笑顔でこっちを見て来る。若い娘さんと目があったのが印象に残っている。イスラム教の国なので、基本的に女性とは目を合わせないようにしているし、あっちもあからさまには見てこない。
道路は昼間よりもさらにすごい大渋滞で、交差点には警官が数人いて交通整理をしていた。みんなピリピリしていて、警官たちも口論をしていた。こんな所での交通整理はやりきれないだろう。まったくもって同情する。
ホテル帰る途中で私をずっと真顔で見つめる青年がいて、なにか言いながらずっとついてくる。途中でトルコのお札を見せてきたので、たぶん日本のお金があるかと聞いてるのかなと感じたが、もちろんベンガル語は話せないので、ごめんないわー、ないない、などと言っていると少し通じたような気がして、ようやく彼はあきらめて去って行った。あとで知ったが、ベンガル語も「ない」は「ナイ」だった。はたしてこれは偶然なのか。
時間はまだ6時前だが、外はもう真っ暗だ。
ホテルについてエレベーターを待っていたら、停電になりエレベーターが停まってしまい、7階まで階段を登るのはきついので、15分ほど道路の喧噪を見たりしながら待った。
エレベーターが復旧してから部屋に帰り、シャワーを浴びて、日記を書いて、7時過ぎにやっと腹が減ってきたので、ホテルのレストランに行った。
案の定メニューがなく(あるけどベンガル語だから見せてくれないのかも)チキンケバブとルティ(薄焼きパン)を頼んだ。
しばらく待ってやっときたが、チキンは痩せていてものすごく小さく、ルティは昨日食べたナンと同じものがきた。これもルティと呼ぶのか?それとも気をつかってナンを持ってきてくれたのか?
あとはキュウリとニンジンをヨーグルトであえたライタがついてきた。
案の定チキンは食べるところが少なく、食べてるうちに、これはニワトリじゃなくて鳩かなにかじゃないかと思えてきた。
これでは足りないと思ったので、ビーフケバブも1本追加注文した。
食べ終わり、お茶は?と聞かれたので、またアダ・チャーと言い、覚えたてのベンガル語「チニ・チャナ(砂糖なし)」も使ってみた。
お茶を飲んでいると、一人のおじさんが英語で話しかけてきて、私の食事が終わったら少し話そうと言ってきて、隣りのテーブルに友人らしき人と座って、食事をし出した。
15分くらい、お茶をちびちび飲みガイドブックを読みながらオジさんを待ち、もう部屋に帰ろうかな・・となったときに、オジさんがようやくこっちのテーブルにうつってきた。
オジさんはちかくに住んでるビジネスマンで、バングラデシュはどうだと聞いてきたので、旅行者は全然いないけど、バングラデシュ人はみんな幸せそうだと言うと、すごく満足していた。
オジさんも、バングラデシュ人はみんな幸せだと言っていた。インドと比べられるのがあまり好きじゃなさそうで、あそこは大きい国だから、仕事も金もあって、旅行者がたくさんいくのはそりゃ当たり前だよ、と言っていた。
君は日本人だが、JICAとなにかコネクションはないか、私はJICAと仕事がしたいと言っていたが、さすがに私にそんなコネクションはない。
次は私の疑問を聞いてみた。ところで河に停泊している普通のフェリーはどこへ行くんですか?かと聞きくと、みんなChatpur(チャップル)という町へ数時間で行く短距離の船だと教えてくれた。
ロケットスチーマーの乗り方は、ガイドブックにも、ネットにも色々書いてあるが、どちらかというとあの普通の船に乗ってみたい。
20分くらいおじさんと話して、風邪気味なのでお別れを言って部屋に戻ってきた。
シンガポールから持って来たパナドール(風邪薬)を半分に割って飲んだ。 バングラデシュは思ったより寒く、夜はよくクシャミが出る。
夜は12時過ぎてもまだうるさかった。夜の方が昼間よりもうるさい。
つづく
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*1:今も定期路線として運行しているダッカとクルナを結ぶ外輪船のこと