シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

お母さん、ぼくが生まれてごめんなさいっていう本を手に取ったぼく

地球人のみなさん、こんばんみ!

私は今インドネシアのバリ島に来ています。オンラインのみで仕事をしてるので、急いでシンガポールに帰る必要もなく、1月中もずっとこっちにいます。

 

案の定今回もそんなにする事はないので、散歩したり、読書したり、YouTube聞いたりしています。YouTubeを見るじゃないのは、見ると目が悪くなるんで、画面はなるべく見ずに聞くだけです。俺は一生眼鏡をかけずに過ごすんだ!

 

先日サヌールのあるホテルに泊まったときに日本語の本が数冊置いてまして、中から一冊選んで読んでみました。

それが「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」という衝撃的なタイトルの本でした。

太宰治だっけかな?と思ったんですが、脳性マヒのある男の子について、彼が通った学校の担任の先生が書いたドキュメンタリーのような本でした。

 

この本の主人公である「やっちゃん」というあだ名の青年は、結局昭和50年に15歳で亡くなったというので、実は相当昔の事を綴った本です。

 

本を読んで一つとても驚いたことがるんですが、昔は障碍者に対する差別がかなりひどかったみたいです。

お母さんがやっちゃんを車椅子に乗せて街を歩くと、彼を見てクスクス笑っている人や、自分の子供に「あんたも悪い事したらバチが当たって、来世はあんな風に生まれてくるんだよ!」なんて大声で言うお母さんとかがいると言うんですね。

 

最初は少し大袈裟だろう、お母さんの被害妄想だろうとも思ったのですが、読み進めていくと、どうやらそうではないようでした。

ちょっと今の風潮からは考えられないですが、やっぱ時代によって違うんですね。

 

もちろん差別をしない、親切な人もいて、色々手伝ってくれたり優しい言葉をかけてくれる人もたまにいたそうです。そんなときにお母さんやご家族は、嗚呼、世界がこんな優しい人ばっかりだったらなと思ったそうです。ところがそうじゃないんですよね。優しい人もいれば、そうではない人もいる。

 

まぁ今はそういったあからさまな差別は減ったのかもしれませんが、別に日本の人々の優しさが底上げされたわけではないように思います。被差別者が、障碍者から、他の弱者へと変わっただけかもしれないし。

 

この本のタイトルの「お母さん、生まれてごめんなさい」というのは、やっちゃんがお母さんにあてて作った詩のタイトルだそうで、内容は、僕のために苦労をかけてごめんなさい、という切ない内容です。

 

当時は多くの人がこの詩を読んで感動したそうですが、逆に「こんな事思われるんだったら、なんでこんなふうに生んだんだよ!って罵られたほうがましだ!」なんて思う障碍者の母親の声もあったそうです。

 

まぁ考え方は色々ですよね。Aみたいな問題は必ずBが正解だという決めつけが、偏見につながり、差別につながるんじゃないかなと私は思います。

色んなケースがあるんだから、色んな意見があっていいし、色んな人がいていいんだ、という多様性を認めることが、このような差別をなくす方法じゃないかな。

 

でもべつに差別がなくならなくてもいいんだけどね!差別する人がいてもいいんだけどね!色んな人がいて然るべきだから!

実際に差別する人の功績はたいしたものです。

差別する心ない人のおかげで、親切な人たちがよりいっそう輝き、被差別者は人の痛みや、世界の残酷さを知ることができ、人生の本当の意味、そして究極の悟りに近づくことができる。

みなさん今日から寝る前に、自分の周りの嫌な奴にありがとうと三回言ってから寝ることにしましょう。



この本、実は前半は個人的にあまり好きじゃなく、なんかちょっと大げさなんちゃうん!?と半信半疑で読んでいきましたが、後半の特に一番最後に書いてあった著者の人生哲学、人生観、無常観みたいなのはすごかったです。

この著者のお父さんも実は重度の脳性麻痺で、そのお父さんから人間とは、人生とは、障害者とは何かを学んだようです。

 

この本を立ち読みする際は、後ろから読んでもいいかもしれません。仏教とか宗教系の本よりも感動、というか心に響くものがありました。私みてえなクソ甘ったれなんかにはわからない、とても大変な経験、そして素晴らしい経験をしたんでしょうね。

少し不謹慎な言い方かもしれませんが、生まれて初めて障碍者に興味がわいてきました。

 

シンガポールの自宅の前が遊歩道になっていて、ときどき車椅子に乗った重度の障碍者の人が、メイドさんに押されているのを見かけるんですが、私は今までそういう人はあえて見ないようにしていました。

そして勝手に、ああいう人はおそらく脳も動いておらず、意識とかもないんだと思っていたんですが、もしかしたらちゃんと普通の人同じく脳は機能していて、ただ身体が思うように動かないだけなのかもしれないですね。

そして、もしかしたら普通と同じように、話しかけられたい、挨拶したい、話を聞いてもらいたいと思っている人もいるのかもしれません。

 

もしそう思っているにも関わらず、私のように無視を決め込む人ばっかりだったら、それはどんなに孤独で、どんなに辛い毎日か。もしそんな人がいたとしても、自分はそうじゃないからそれでいいのか。自分は絶対にこの先もそうならないのか。

 

なんかそんな、簡単に答えが出せない、答えを出すのが少し怖い、そんなもやもやを、この本から与えてもらったように思います。そしてそれは私にはとても大切なもののような気がします。

 

この本を読むチャンスを与えてくださった、どこの馬の骨かもわからないおそらく日本人の方、ありがとうございます。まだあなたが生きてるかどうかもわかりませんが、もし生きていたら、どうぞ良いお年を。

 

 

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