この本は2年前くらいにペナン(マレーシア)の古本屋で買いましたが、いわゆるジャケ買いだったと思います。この潔いレイアウトとフォント、謎の老人。ものすごいインパクトでした。
本の内容は、ジャーナリストの本多勝一さんとカメラマンの二人が、1963年の5月から6月にかけて、カナダ北極圏のエスキモー部落をたずねて、そこに一ヶ月近く住み込んで、現地のエスキモーと生活を共にした体験や記録をまとめた、いわゆるルポタージュです。
「エスキモー」とは、北極圏のシベリアや、カナダ北部などに住んでいる先住民族グループのことで、言葉の語源はアメリカの先住民族(インディアン)のクリー族がつけた「生肉を喰う人々」という意味だそうです。
今では差別用語とされ、代わりにエスキモー語で「人々」という意味の「イヌイット」という言葉が使われてるようです。
そういえば北海道の先住民、アイヌ民族の「アイヌ」という言葉も、「人間」という意味です。
私は近代的な生活や、最先端の技術などよりも、一昔前のシンプルな生活や、その当時の人達の生活の知恵などに興味があり、チャンスがあればそんな生活もしてみたいなと思っていたんですが、このエスキモーの(当時の)生活は、私が予想していた以上にハードで、これは無理だなと思いました。
色々無理っぽいんですが、一番は彼らの食事です。
エスキモーの主食は生肉です。彼らは食べ物に火を通したり、調味料を使ったりすることはないそうです。
どんな動物の肉かというと、カリブーというトナカイの一種や、アザラシ、セイウチ、ライチョウやカモなど。さらに内蔵、骨髄、脂肪、脳みそ、目玉などもほぼ全て生で食べるようですが、カリブーの腸を食べたときの描写が強烈でした。
トナカイ類の腸は全哺乳動物中最も長く、四十数メートルに達する。イスマタは、その長い腸の、胃袋に近い部分をちぎって、口にあふれるほどつめこみ「うーん、ママクト、ママクト(うまい、うまい)」
私はイスマタの一口分の、三分の一くらいを手にする。ねずみ色の、ヌルヌルの、ドロドロの、細長い物体。もう泣きっつらだ。思い切って口に投げ込んだ瞬間、表現不可能な味を全身に感じた。強烈な生臭さと、にがみ。さらに糞の臭い。それらがいっしょくたになって「味」などというものではない。どうしてものみこむことができず、はきだした。
著者の本多さんは長野県の生まれで、子供の頃から昆虫や幼虫など、色んなものを食べていたらしく、その経験がこのエスキモー部落に滞在中の時も非常に役に立っていて、現地のエスキモーが食べる物に、果敢に挑戦したようです。
長野の人ってワイルドですね。
次に、ああこれも無理だと思ったのは、彼らの住居での生活です。
家は我々の想像を裏切らず雪や氷で作ってるんですが、その内部に著者が初めて踏み入ったとき、ものすごい異臭が鼻を突いたそうです。
いったい、この強烈な悪臭は何だろう。10分とたたないうちに原因がわかる。便器にしている空き罐(がま)が二〜三個床に置いてあるし、片すみには動物の残骸が重なっている。おとなは手ばなをかみ、タンをはく。赤ん坊はセキをするたびにもどす。土間は、それらが動物のあぶらといっしょにこねまわされて、ヌルヌルしている。
まぁさっきの食事もそうですが、人間は適応力があるので、時が経てば慣れるんでしょうが、生理的に非常に抵抗があります。
彼らは比較的小人数で部落を作っていて、著者が訪ねた部落は全部で6家族。単体で住んでいる家族もいれば、せまい家に2家族が同居することもあるのだとか。
さらに北極は太陽の沈まない白夜の季節がありますから、そのときは全員が寝静まるということはなく、必ず誰かが起きていて、勝手に家の中に入って来たりするらしいので、プライバシーなどは微塵も存在せず、これもちょっとイヤだなと思いました。
あとびっくりしたのは、エスキモーの犬ぞりに使う犬達の扱い方です。
犬好きが多い昨今なので、あまり具体的な描写は避けますが、まぁムチで叩くのは当たり前、殴る蹴る金槌でぶん殴ったり、他の犬に緊張感を与えるために一番怠けている犬を集中的に痛めつけて悲鳴を上げさせるなど。
甘やかしたり可愛がったりすると、犬というのはつけあがるのだそうです。これはなんとなく私の経験でもわかります。
まぁ犬がきちんと働かないと、生死に関わる問題に繋がることもあり、それほど過酷な環境に生きているということですね。
さらにエスキモーは自殺率が世界で一番高いらしいです。
自殺の理由は多い順から並べると
- 子供など近縁の者が死んだ悲しみから
- 病気や自分に起こった不幸のため
- 配偶者への不満
- 老いたから
そんな理由で、突発的に猟銃で自分の頭を打ち抜いたりしてしまうんだとか。
今年の三月末か四月の初め。ホールビーチの老エスキモーが自殺した。まず、息子に鉄砲をもってこさせ、下アゴにあてて頭をうちぬこうとしたが、中心をはずれて、弾丸はほっぺたにぬけた。もう一発うつと、こんどは鼻のあたりにぬけて再び失敗。と、ここでエスキモー方式の極致が発揮され、鉄砲をたらせた息子に向かって「おい、お茶をもってこい」。血だらけのまま、ゆうゆうと一ぱい飲んで、三度目がまた失敗。四発目でようやく倒れ、それでも四◯時間生きていて絶命した。
私が一番感慨深かったのは、部落内でエスキモー同士のしがらみや、エスキモーの見栄だったりあさましさが書かれていた部分です。
私は今まで漠然と、先住民族や原始的な暮らしをしている(していた)人々を、彼らは現代人よりも、もっと高潔な精神を持っていると信じて疑わず、勝手に尊敬していたのですが、この本を読んで人間ってそんな簡単なもんじゃないんだな!と思いました。
例えば、自分だけが所有しているものを人に自慢したり、自分の物は人にあげずに人の物ばかりねだったり、自分の子供だけ贔屓して他の子供は邪険に扱ったり、酒に溺れたり、仕事をしなくなったり。最後のほうは現代人に接触したばかりに起こってしまった変化ですが。
アメリカンインディアンだとか、アイヌだとか、自然を崇拝し共生したり、高貴な精神哲学を持っていたりだとか、そんな部分だけが強調されて伝わっているような気がしますが、人間である限り善と悪、強さと弱さの両方の部分を必ず兼ね備えているはずなんです。
それを改めて理解できたような気がします。
そうは言っても現代人とは比べ物にならないくらいピュアで、親切な人達だったようです。かれらの挨拶は、これ以上ないくらいの笑顔を作ることだそうです。
そんな彼らも、あれから50年以上経ち、今は4LDKの一軒家に住んでいるようです。
asahi.com(朝日新聞社):武田剛のアース・フォトクリップ - 朝日地球環境フォーラム2009 - 環境
残念と言いたいところですが、これが彼らの人生、宿命のようですね。
もう絶版らしいので、見つけたら即買です!
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