シンガポール漂流生活

シンガポール在住歴12年、日本語教えたり、絵描いたりして、なんとなく生きてます。

『ブンナよ、木からおりてこい』命とはなんぞや

今日は私のオススメの本を一冊紹介したいと思います。

私が好きな作家の一人に水上勉(みずかみ つとむ)という方がいます。

 

実は私の母の旧姓も水上で、ある大物政治家の秘書をやっていた福島県出身の私の友だちの元カレの苗字も水上だし、私はほんのちょっとだけ水上という苗字に縁があるのかな、そういえば「水上」って元々は「水神」で水の神様、弁天様かなにかだったんじゃないのかな、なんて事を考えずにはいられないわけです。

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この水上さんをどうやって知ったかというと、数年前に台北の古本屋で日本の中古本を何冊かジャケ買いしたんですが、その中に水上さんの著作「はなれ瞽女おりん」という本がありまして、それが非常に良かったので好きになりました。

 

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生まれつき目の見えない女性の半生を描いた、けっこう悲しい物語なんですが、この本をきっかけに、人間の理想を追い求めているような内容の本から、悲しくて不条理でやりきれなくなるような本を好んで読むようになりました。

その方が自分には現実的であるように感じられ共感もできるし(私の人生も悲しみと不条理に溢れているので)読んでいて納得がいくし、自分にとっては学ぶことが多いと思ったからです。

甘いジュースから、ちょっとほろ苦いビールを飲む様になった感じでしょうか。そんな物飲まなくてもいいという意見は認めます。

 

なにはともあれ、その水上さんの作品がとても好きになり色々読んでみたのですが、今回はその中でも少し異色な作品をご紹介。

それは「ブンナよ、木から降りて来い」という童話です。

 

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これはタイトルに心引かれて、Amazonの中古本を買いました。

 

◯◯よ、木からおりてこい!

 

◯◯に自分の名前を入れて、一度声に出して言ってみてもらえないでしょうか。

 

 

 

どうですか?なんか心に響くものがありませんか?(なんのこっちゃ)

 

これはブンナという名前のトノサマカエルが主人公の童話です。童話といっても、子供だけが読んで楽しめるというわけじゃなく、大人こそ読めという本だと思いました。

 

あらすじは

木登りの得意なトノサマガエルが、他の仲間たちの言葉を聞かずにとても高い木のてっぺんまで登ってしまいます。とても見晴らしが良い素敵な場所なのですが、実はそこは小動物の天敵である鳶が、捕まえた獲物を一時的に保管しておく場所で、鳶に捕まえられた他の小動物が次々と運ばれてくるのです。カエルは誰にも見つからないように隠れてその様子を伺うのですが、そこでは捕えられ死を待つ動物たちの、人間模様ならぬ、動物模様が繰り広げられるのです。そしてその一部始終を見たカエルは何を思うか・・。

 

 

このトノサマガエルのブンナ君は、他のカエルとは少し違っていて、木登りがとても上手で、ジャンプ力もすごいのです。けして悪いヤツではないのですが、どうも調子に乗りやすく、豚もおだてりゃ木に登るように、ブンナ君もみんなが見たことがない景色を見るために高い木に登ります。

 

他のカエルは、危ないから止めなよ!と止めるのですが、その忠告も聞かずにブンナは木を登っていきます。

私はこれを読んでいるとき、このトノサマガエルが、生まれて初めての海外旅行で無謀にも一人でインドへと飛び立った若き日の自分と完全にダブって見えました。

 

エネルギーに溢れ血気盛んで、自分は他の人とは違うんじゃないか、なんて勘違いして、ちょっと冒険してみようなんて考えてしまう若者は、私だけではないでしょう。

 

そしてブンナ君も私も、行った先で思いもよらぬアクシデントに遭遇し、嗚呼、みんなの忠告を聞いていればよかった、俺はバカだ!大バカだ!と悔い、そこでやっと自分は特別でもなんでもなく、弱くて臆病でみんなと何ひとつみんなと変わらぬ存在であると、気づくのです。

 

さて、私がインドで見たものは巨大な牛のクソと、アグレッシブな乞食達ですが、ブンナが木のてっぺんで見たものは、はたしてぇぇ〜(『ヤッターマン』のボヤッキーの声で)

 

これ以上は私の安っぽい文章で説明するのはナンセンスってなことで申しませんが、この世は弱肉強食で、食うものと食われるものがいて、食うものでさえ時には誰かに食われてしまう、そして死の瞬間は誰にでも平等に訪れ、それをどう迎えるかはその人次第である、そんな事を感じました。

 

本のあとがきで、著者が言っていることにも、とてもグッときたので、最後にそちらのほうだけ転載したい、したいんだ、たのむ、させてくれ。

 

母たちへの一文

ーあとがきにかえてー

 

『ブンナよ、木からおりてこい』は、母親がそのまま朗読してやってもいいように書いた。朗読しなくても、頭に入れやすいような筋書きにし、それをまた子供に話してやりやすいようにたくらんだ。

(中略)

私はこの作品を書く事で、母親や子供とともに、この世の平和や戦争のことを考えてみたかった。

それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでゆくことの裏側で、とりこぼしてゆく人なみの子にするというよりは、少しでも、他の子に勝る子にしあげようとする母親の願いを、ひきうけているようなところがあって、子は、ひたすら学習であけくれている。

いったい誰が人なみでいることをわるいときめたか。また、人なみでないことをダメだときめたか。

そこのところをも、私は子供とともに考えたいと思った。生きとし生けるもの、すべて太陽の下にあって、平等に生きている。蛙も鳶も同じである。

(中略)

凡庸に生きることが如何に大切であるかを、母親は先ず自分の心の中で抱きとって、子に話してほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい事件のすべてが、子供に、なんらかの考えをあたえ、この世を生きてゆくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる。

 

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